熱い思いを込めて日本初のフラダンス学校を設立ルーツ&ヒストリー

ルーツ&ヒストリー

「常磐ハワイアンセンター」が生まれるまで

「黒いダイヤ」。
かつて「石炭」はこう呼ばれていました。
本州最大の炭砿であった常磐炭礦株式会社(常磐興産の前身)は、国の基幹産業を担う自信と活気に満ちあふれ、石炭の町であった現在の福島県いわき市常磐地区は、戦前から戦後にかけて毎日がお祭りのようでした。
しかし、昭和三十年代後半、エネルギーの主役は石炭から石油に進化し、状況は一変しました。石炭産業は没落の一途をたどり、同時に石炭に依存していた地域経済にも極めて大きな影響を与えたのです。

それを救ったのは「温泉」でした。この温泉は、石炭掘削の妨げとなり、劣悪な労働環境や生産力ダウンをもたらす「負」の資源でした。石炭を1トン掘るために何と40トンの温泉を汲み出すほどで、当時一日の湧出量は、日本の総人口に毎日一合(0.18L)の温泉を分けられる程の量だったといいます。
常磐炭礦株式会社は、企業の存続と地域経済の再生を目指し、新業種への参入を検討。「坑内から湧出する温泉の地熱と、豊富な湯量を利用すれば、東北の地でも一年間温暖な空間が創出できる」として、昭和38年に「温泉レジャー施設」の建設計画を発表したのです。つまりマイナスをプラスに転じる発想、これがすべてのスタートとなりました。

「常磐音楽舞踊学院」の船出

「温泉レジャー施設」の売り物として考えられたのは暖かさを象徴するもの「熱帯樹とフラダンス」、そしてハワイの雰囲気でした。炭砿跡地に日本で初めてのテーマパーク・日本のハワイ「常磐ハワイアンセンター」を開業する、周囲の度肝を抜く大胆な発想でした。エンタテインメントとして考えられたが、ハワイの伝統の踊り「フラダンス」。更には「ポリネシア」の島々の民族舞踊でした。
そのため創業を1年前に控えた昭和40年4月、日本初のフラダンス、ポリネシアン民族舞踊の学校『常磐音楽舞踊学院』を設立(昭和43年12月に福島県知事認可の各種学校となる)。一期生18名がエンタテイナー育成のために集められました。

「常磐音楽舞踊学院」設立の精神

「炭砿人の血を受け継いで、炭砿の空気の中で育ってきた人が踊ることによって、この目的が達せられる」「松竹や宝塚のショーを真似ようと思うな。少女歌劇やレビューを見たい人は東京か神戸に行けばいい。ハワイアンセンターは、ここでしか見られないショーを上演する。」

この精神に基づいて集められた「一期生」は全員が炭砿関係者の子女、そしてほとんどが踊りの経験すらない素人。多感であった彼女たちは「腰振りダンス!」「ヘソを出して踊るなんて!」という周囲からの冷ややかな視線を浴びながらも、必死に民族舞踊の習得に取り組みました。

サンケイホール「旗揚げ公演」が大成功

それは常磐炭砿、炭砿関連企業従事者、更には地域経済の将来という重い荷物を背負った厳しい船出でした。
「重厚長大」と呼ばれた高度成長の時代背景の中、第一次産業「炭砿」が、お客様相手の第三次産業「観光」へ衝撃的事業を転換したことは、社会的に大きな注目を浴びたことは言うまでもありません。

「常磐ハワイアンセンター」開業を1ヶ月後に控えた昭和40年12月6日。東京大手町サンケイホールで行われた「旗揚げ公演」には、昼夜それぞれ2000名を超えるお客様が押し寄せ、入場をお断りするほどの話題であったといいます。
こうして昭和41年1月の開業以来、ハワイアンズ最大の呼び物である「ポリネシアンショー」はその日本における先駆けとしてスタートして以来、一度も途絶えることなく続けられ、開業以来延べ5000万人ものお客様に、「ハワイ」に象徴される南の島へのあこがれと夢、そして感動を与えてきました。


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